最新の記事
カテゴリ
以前の記事
その他のジャンル
画像一覧
|
秋晴れのなか第209回耶馬渓サイクリングが「11月18日から11月20までの2泊3日」で13名の参加により実施された。
天気予報によれば、雨サイドの予報で走行が心配されたが、日田の豆田町ポタリングを除いて晴天に恵まれた。これは誠にラッキーの一語に尽きる。 そのあらましは次の通りである。 18 日:羽田(発)9:45→福岡(着)11:45 日田バスにて日田に14 時頃到着。 咸宜園~豆田町ポタリング~簡保の宿・日田泊 19 日:ジャンボタクシー~耶馬溪サイクリングセンター~サイクリング~へ屋傳六~平田城址~青の洞門~バスにて中津駅→特急→別府・杉の井ホテル泊 20 日:杉の井ホテルにて朝食後解散 当日及びサイクリング解散後の模様などそれぞれに参加者の感想をいただいております。 編集を考えましたが、折角の文章に手を加えることは失礼だと思い、そのまま全体を掲載します。 ~咸宜園で正座して説明を聞く~ ~豆田町散策この後雨に~ 私自身は、念願の大分県日田の咸宜園跡をうかがえたので大感激でした。 床の間には、2年前に篆刻の仲間たちと彫り上げた、広瀬淡窓の「道(い)うを休(や)めよ 他郷苦辛多しと・・・・」の漢詩掛軸がかかっていました。館長さんに、大内さんが、淡窓を題材にした、葉室麟の小説『霖雨(りんう)』について質問されました。さすが、新現役サイクリング・クラブ。同好の士が居られたのに感激でした。 天候急変、雨で、豆田町のポタリングが切り上げになりしたが、私は幸せでした。雨合羽がありまして。(実は、バスターミナルのロッカーに収納し忘れて、仕方なく買い物かごに入れてていたんです。スミマセン) YHさん 初日のかんぽの宿日田での反省会 久しぶりの参加の方から近況など・・・今回の九州サイクリングの旅は「咸く宜し」(ことごとくよろしと読みー全てがよいということ)でした。 良かったこと(1)日田市ポタリングでは広瀬淡窓の私塾「咸宜園」を訪ねた。直木賞作家葉室麟フアンとしては、読んだことのある小説「霖雨」の舞台となった場所を実際に見ることができてよかった。 良かったこと(2)サイクリングロードとして人気抜群のメイプルロード耶馬溪を秋晴れのもと、紅葉の山や清流の川、名所旧跡を見ながら仲間とゆっくりと、しかも何のトラブルもなく走れたこと。 良かったこと(3)中学の時の修学旅行の地、別府の温泉にはいり、当時飲めなかった酒をのめたこと。 良かったこと(4)ツアー終了後さらに足を延ばして宮崎に行き、10年ぶりに85歳の実姉、甥や姪の家族と歓談ができたこと。さらに日南の名所鵜戸神宮で、運玉が壺に入ったので運がついたと思えること。 良かったこと(5)何よりも幹事の方々の周到な準備のお蔭で、同伴の皆さんと楽しい時間が過ごせてよかった。 そして天も味方してくれて、4泊5日の間ずっと暖かい秋晴れに恵まれたことで咸く宜し。MOさん ~耶馬渓サイクリングターミナル前:自転車を借りて出発前~ 『耶馬溪サイクリングを終えて』 初日の朝、羽田空港で集合時間の40分も前に着いておきながら、何故か出発時刻の9時45分と勘違いして皆様をお待たせし、冷や汗どころか飛行機に乗った時には背中から滝のような汗が流れていました。 日田市内の豆田は、昔の面影を残しながら観光客用に魅力的なお店もあり、もう少しゆっくり回ってみたい所でした。途中雨に遭い、ずぶ濡れになりながらレンタサイクル店まで走ったのも、今ではいい思い出です。 今回最も刺激を受け印象に残ったのは、『咸宜園』でした。 廣瀬淡窓の教育方針とその実績には感嘆するのみですが、今まで何の勉強もしてこなかった我が身を恥じ、これからでも遅くはない、何かを学び始めようと心に誓った次第です。 2日目の耶馬溪のメープルロードを走っている時、珍しい花が咲いていました。 “皇帝ダリア”だそうで、イベントリーダーのTさんから、皇帝ダリアで一首読んで今夜の宴会で披露するようにと言われましたが、短歌や和歌など全く無縁の私にはプレッシャーで、景色どころかそのことばかり考えていたため、『MFさ~ん、早過ぎる!』と何度か注意され、道も間違ってしまいました。 そんな苦労しながら作った歌は以下の通りです。 『道端の 皇帝ダリアに迎えられ 勇気百倍 朝のメープルロード』 MFさん ~道路上の濡れ落ち葉はスリップしやすいのでブレーキ注意~ ~へ屋傳六の石垣と塀~ ~塀の上の柿~ ~平田城址の忠霊塔で~ ~耶馬渓橋を渡って~ ~橋の上のメンバー (河原に降りたFさん撮影)~ 18日 福岡から天領日田へ 定刻通り福岡空港におりたったメンバーは高速バス「ひた号」にて日田へ向かう。車窓からみる山肌の紅緑のグラジュエーションと南面中腹の色づいた果実が九州を走っていることを実感させる。 水と山に囲まれた日田盆地が近き、花月川を渡ったバスは城内豆田入口から天領日田の街並みに入る。落ち着いた佇まいの街中をバスセンターへ。駅舎のつくりや駅前の木造のモニュメントH TAに歴史と林業の町を感じることができる。 旅装をとき観光協会運営のレンタサイクルにて早速散策に入る。このとき盆地は低い雲に覆われていたが雨支度をしたメンバーは少なかった。初めに咸宜園教育研究センターへ向かう。休館中にも関わらず一行を受け入れてくれたセンター長は江戸後期の儒学者 廣瀬淡窓が数名の塾生とともに咸宜園を開いたというくだりから、厳しかった塾生評価などについてとうとうと語ってくれる。最初は正座して拝聴していたメンバーも次第に足を崩していく。イベントリーダーの「次の予定が!」の一言に一同感謝 ~天領・日田の街並み~ いよいよ豆田の街並みを散策。白漆喰で塗られた建物や京風縦格子の町屋が多い。下目板張やなまこ壁も見られバラエテイに富んでいる。通りに沿う水路に豊かな水流あり。水の町を演出しているのか? 江戸時代までに三度の大火を経験した土地の教訓と伺う。町屋風のお店で温かいみそ汁のふるまいを受けた。 地産の大豆と恵みの清水から芳醇なしょうゆが出来るとのこと。江戸期を通して人の往来が多かった日田陣屋町の繁栄を想うことができた。このころ大きな雨が落ちはじめる。散策前に盆地の天候に思いを致さなかったことを悔やむ。ホテルチェックインを早める状況判断をしたイベントリーダーに感謝 早々に迎えのバスにのりこみ三隈川中州に建つホテルに。到着するや濡れた体の手入れ。このときコインラウンドリー大活躍。 夕食までの間に温泉を楽しみ、初日の反省会へ。 19日 耶馬渓から別府へ 濡れた着衣も乾き温泉を楽しんだメンバーは耶馬渓景観を楽しみにロビーに集合。耶馬渓サイクリングターミナルへ移動する。山国川に掛けられた沈み橋では自然(水)と共生する人の知恵を感じる。 レンタサイクルの走行前点検、柔軟体操ののちいよいよメイプルロードへ走り出す。コース担当リーダーの周到な計画に沿って山国川右岸の花崗岩に眼を奪われながら擲筆峰や山国川第2鉄橋を目指して進む。 気が付けば軽快に走りすぎて計画よりも先行している。白漆喰を施した土塀がつづく古民家の横で小休止。探求心旺盛なメンバーが塀の中を偵察すると、そこは手作り菓子工房という。工房にお邪魔すると凝った内装の落ち着いた店舗の女主人に思いがけずお茶、佃煮、お鮨などのおもてなしを受ける。地産の柿羊羹や鮎の佃煮などをお土産に入手した。 工房「へ屋傳六」を後にして昼食予定の平田宿場へ向かう。このころサイクリングターミナルを出てから約1時間半経過。自転車後輪に舗装道路継ぎ目部分を走る時のコツコツという異音を感じはじめる。タイヤの空気圧が少なくなっている。走行前点検時に圧が少ないタイヤに空気を入れるときには空気入れバルブの劣化にも思いを致すことが必要との教訓を得た。 昼食大休止予定の平田宿場を目指すもそれらしきを見ず、平田城址の案内に従い小高い丘へ向かう。登り坂の石垣に山城のなごりを見て先人が山国川河岸からこの石を積んだ苦労が偲ばれた。 坂道の半ばに名勝耶馬渓「立留りの景」を望み平田城が山国川沿いの交通を制する要であったであろうと思いを致した。 ~「へ屋傳六で密談中の三人!」~ 国道500号沿いの道の駅で昼食をとり耶馬渓橋(オランダ橋)をへて青の洞門へ向かう。禅海和尚がノミと槌だけで約30年かけて刳りぬいたといわれる342メートルのトンネルには下流の明かり採り窓等の一部に手掘りのノミの跡を見ることができる。江戸時代の終わりころまでは「樋田の刳りぬき」と呼ばれていたが、江戸末期から大正時代には本耶馬渓町樋田青地区の地名から「樋田のトンネル」や「青の洞門」と言われるようになったという。 予定の中島バス停より下流の青の郷バス停から中津市へ向かう。JR九州特急ソニックのウッドフロアと革張りシートを楽しみ一路別府へ。高台にある西日本最大と言われるホテルへチェックイン。四国伊方町佐田岬までを望み別府湾を眼下にみて大浴場を楽しみ、2日目の反省会へ。 休止予定の変更やコース外れ等の事態は事前走行のないイベントではやむを得ないことだが、メンバーの心に残る旅となったのはイベントを周到に組織し計画したリーダーの努力の他ないと感謝。SGNCCが淡窓先生の「咸く宜し」(ことごとくよろし)の教えを具現していることを誇りにおもう。 TIさん 3日間、楽しかったです! 羽田から1時間半、あっという間の九州だったので「遠いところへきた」という感じはしなかったのに、3日間を過ごして東京に帰ってみると、「ああ、やっぱり違ったな」と思うことがいくつか。 まず気候。緯度も経度もかなり違うだけあって、暖かかった! テレビでよく、大雪が降り積もる九州の映像を見かけるので、もしかして寒い?と思ってユニクロダウンを忍ばせていったけれど全くのお荷物でした。 ダウンどころかカーディガンもいらず、毎日半袖の上に薄手ジャンパー1枚で十分。でも、東京に帰ったら寒くて、すぐに暖房をつけました。それと、日の出が遅く(6時半でも真っ暗)日の入りが早いのも東京と大分違いました。 も一つ、大陸に近いんだな、ということを実感したのは、ホテルでも駅でも聞こえてくるのは外国語(韓国、中国・・・)ばかり。日本語がほとんど聞こえてこなかった九州から、家の近くの駅までたどり着いたら今度は日本語しか聞こえなくて、ちょっと変な感じでした。 KOさん メープル耶馬溪サイクリング紀行 実は耶馬溪サイクリングロードを走るのは私にとって2回目である。 前回は旅行会社の主催するサイクリングツアーで耶馬溪サイクリングセンター→守実コア→青の洞門→中津までウン十キロを走ったが、季節が確か9月ごろだったか、地元の方から「何でよりによってこんな何もない季節に来るのか?」と云われ、是非とも次回は紅葉か新緑の季節に訪れたいと思っていたので、新現役のサイクリングツアーにイチもなくニもなく応募した。 このサイクリングロードは鉄道の廃線跡をサイクリングロードにしたもので、信号もなく、なだらかな勾配で初心者向けのコースなのである。 間もなく幹事からしっかりした計画の書類が送付されてきたので、大舟に乗った気分でいたところ、前日になって荷物は小さく纏めて—とのキツイお達し。従来の私の申し込んだ新現役のツアーでは走行中の荷物は運んでもらえていたので、大慌てでパニック状態に陥ってしまった。 それでも幹事に掛け合い、キャリーでOKということになり、最初の走行地、日田に無事到着した。 幸い荷物はロッカーに預けるコトができ、咸宜園という昔の学校を見学し、その後、豆田町という江戸時代の街並みが残る街をポタリング。日田は江戸時代の幕府直轄の天領で、政治がきちんと街の隅々まで行き渡っていたと思わせる風格のある街である。 ところが、街歩きの最中雨に降られ、急きょ切り上げ、宿舎の簡保の宿へ直行。簡保の宿は立派な建物だった。部屋に入ると早速、荷物を如何にして小さく纏めるかの特訓が始まった。サイクリングツアーでは荷物は全てリュックにまとめ、背負って走行するのが当たり前で新現役も例外ではないとのこと。 そういわれて、改めて見回すと今回のメンバーは新現役サイクリングメンバーの中でも精鋭のベテランばかりである。万年初心者の私は美しい白鳥の群れに迷い込んだ醜いアヒルの子みたいな、悲哀をあじあうこととなった。ともかく、その夜は温泉を楽しみ、翌朝、本命の耶馬溪サイクリングロードに向かった。 自転車をレンタルし早速走行開始、爽快だったが、残念ながら、お目当ての紅葉はサッパリ。 今年はもともとあまり綺麗に紅葉しなかったところに昨日の雨で皆落ちてしまったとのこと。 でも、片鱗は窺え、一部きれいなところもあったが、落ち葉が道に散らばり、転倒しないように注意深く走行しなければならなかった。紅葉の季節はサイクリングにはベストシーズンではないかもしれない。 途中由緒ある、お菓子やに寄ったり、のんびりと青の洞門まで、無事下ることができた。 かっては日本一のサイクリングロードと云われたが、その後、全国各地に立派なサイクリングロードができ、平日とはいえ、サイクリングする人はまばらで、あまり栄えている感じはしなかった。 ~青の洞門の洞門内にて~ 兎も角、自転車を返却し、有名な青の洞門を見学し、その後急行バスで、中津へ向かい、JR九州のソニック特急で別府へ。このソニック特急の床は木のフローリングで、暖かい感じの高級感あふれていて、さすが、七つ星も一日にして成らず、こういう伝統に裏打ちされたものだと感じた。車体も洒落た紫っぽいブルーで素敵だった。去り難かったが草々に別府に到着してしまった。 別府では憧れの杉の井ホテルに宿泊、ところがホテルは韓国人・中国人客であふれていた。これが現代日本の現実なのだ。あらためて、両国との距離の近さが感じられた。ホテルではツアー最後の夜の反省会で盛り上がり、翌朝解散して三々五々、夫々の目的地へと出発した。 私は九州の親戚との待ち合わせ場所の宇佐駅へ向かい宇佐八幡の参道に差し掛かると向こうから見慣れた男性二人が歩いてくるではないか!なんと先ほど別れたばかりのサイクリングのメンバーであった。奇遇ですナ。 その後、親戚の家に寄り、北九州空港から帰京したが、北九州空港は10年くらい前につくられた比較的新しい空港で、こじんまりしているが、海上につくられた24時間離発着可能なモダンなデザインの空港である。 近くの苅田地区はトヨタ・日産等の自動車工場や関連工場が立ち並び続々と新工場も建設中で、将来は近隣の工場で製作した部品などを世界各地に空輸する、旅客用というより、貨物用空港として発展する可能性を秘めているそうである。近くに旅行される方は是非一度この空港を使ってみたらいかが?…というわけで、無事羽田に帰ってきたが、いろいろ充実した3日間でした。 幹事の方々本当に行き届いたお手配で有難うございました。 YMさん ~特急ソニックで別府へ~ ~別府杉乃井ホテルで二日目の反省会(宴会)~ 先ずもって、今回のサイクリングは、火野正平さん(NHKこころ旅で全国を自転車で走行中)云うところの「人生下り坂最高」を存分に堪能できた誠に楽しいサイクリングでした。 勿論、沿線の景観の素晴らしさは、表現に窮するほどの絶景の連続でした。 余所見運転でヒヤリハットもあったほどです。(内緒のオハナシ) その素晴らしさの説明は、筆が立つ共に走ったサイクリストの面々にお任せするとして、似非歌人を気取って、短歌風に一首詠んで、今回の感想とさせてただきます。 “耶馬渓の 軌道跡地を走り抜け 青の洞門で いにしえ(昔)偲ぶ” MTさん 今回の耶馬溪サイクリングに参加された皆さんからは多分18日の羽田空港から20日の別府温泉の解散までの出来事や印象がこのブログで語られることでしょう。私は、異例ですがイベント後の行動を紹介しようと思います。 ホテルロビーで朝の8時30分「ご苦労様!」「お世話様!」の言葉を残してイベントは無事終了。あとは一人で、或いは仲間何人かでアフタータイムを過ごすべくホテルを後にしました。我々後期高齢者4人組(H,N&O2)は夕方5時のソラシドエア便で帰るまでの時間を別府の街をJRの「楽チャリ」(電動自転車のレンタルシステム)で巡る予定でJR別府駅に。 ところが、なんと自転車は一台しかなく、急遽計画を変更し、レンタカーで国東半島を巡ったあと大分空港で車を乗り捨てることにした。大凡のポイントのアドバイスを貰って出発。はじめに本道から脇道の曲がりくねった道を5キロ余り登りつめて立命館のAPU(アジア太平洋大学)の広大なキャンパスへ。 湾を見下ろす絶景の地に、ゆったりと立ち並ぶキャンパス構内をひとしきりブラつき学生気分を味わう。本道に戻ってから再び狭くて急な坂の続く道を走り次の目的地の熊野磨崖仏のある熊野神社に着く。駐車場から磨崖仏までは急峻な坂道と階段を登る必要があるが男3人は途中まで登って引き返す。1時近くなり腹が減ったが此処には売店なし、まして食堂おや。 曲がりくねった坂道を、腹が減って不機嫌な運転手の乱暴な運転で次の目的地の富貴寺に向かう。幸い門前の駐車場脇にパッとしない食堂があり、不味い蕎麦を無言で食らう。本尊の藤原時代末期の国宝阿弥陀如来座像は色あせてはいるが彩色された壁画に四方囲まれている。釈迦像が収められている富貴寺大堂の中は勿論撮影禁止。大堂と山門の表と裏の写真で我慢して下さい。 ハングルもマンダリンも聞こえない静かな山中の神社とお寺を後にして東に向かって走る。目的地は国東半島の東端海岸にある「道の駅くにさき」。此処には市営のサイクリングセンター(勿論レンタル自転車、電動もあった。)があり、建物脇から海沿いのサイクリングロードが始まっている。 残念ながら時間切れでトライできなかったが、片道13キロのノースコースと一周3キロのサウスコースが楽しめるそうだ。 真っ青な豊後水道を見ながらの潮風は快かった。 で、春に「新緑の耶馬溪」と「紺碧のくにさき」のサイクリングロードをセットにした山と海のイベントは如何でしょうか? YOさん 無事に終わりました。やれやれ!ほっとしました。Tmnr ~旅の短歌十二連~ ◎咸宜園名前の意味にふむふむと友らうべなふ畳に坐して (日田) ◎淡窓の詩歌の話聞きながら焦り先だつ幹事の我は (日田) ◎ゆくりなく雨に打たれし豆田まちそれも許さふここは天領(日田) ◎耶馬溪の自転車道の落葉濡れ走る自転車こがねに光る (耶馬溪) ◎八連の耶馬溪橋を水潜り媼(おうな)装ふ君らを背(せな)に (耶馬溪) ◎見放(みさ)くれば別府の街に灯(あかし)ゆれ一つ一つが遠き青春 (別府) ◎由布院のお洒落な街は異国語に君ら静かに請安静!(ちんあんじん) ◎千丈の谷を跨ぎし吊橋の眼下に流るる九重(くじゅう)の川は (九重町) ◎藁ぶきに屋根ふき替へて佇めり汽車通学の中村駅は(九重町) ◎うぶすなの壁湯のお湯に浸りつつ川眺むれば宵は迫れり(九重町) ◎由布岳にあれが鶴見と走る旅「われはじげ者君らよそ者」 (城島高原) ◎宇佐の杜こ漏れ陽さへも神さびて心洗はるわれら罪びと(宇佐神宮) ~もう一つおまけに~ ◎ミゼットに乗る友二人にんまりと我こそ昭和そんな顔して(豊後高田) 失礼しました。ミゼットではなくこれはスバル360でした。 クラブ初の九州サイクリングでしたが 参加皆様のご協力により無事解散でき感謝です。 TN記
by BicyclingClub
| 2015-12-06 01:48
|
ファン申請 |
||